大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和26年(う)487号 判決

控訴人 被告人 田中弁次郎

弁護人 中村義夫

検察官 佐藤哲雄関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人中村義夫の控訴趣意は同人提出の控訴趣意書記載の通りであるからこれを引用する。

原審が被告人が患者等の歯牙脱落部の型を採り義歯を作りこれを同人等の歯牙脱落部に嵌入した事実を夫々認定しこれに対し歯科医師法第十七条第二十九条第一項を適用処断したことは所論の通りである。弁護人は右被告人の嵌入は所謂試適行為として義歯の製作販売と共に当然歯科技工師の為し得る義務範囲に属するものであつて原判決には法令の解釈を誤つた違法がある旨を主張するのであるがもとより金冠義歯の単なる製作販売のみに止まる場合は所謂歯科技工師の業務範囲に属するものと謂うを得べきも印象採得即ち義歯又は金冠製作の為直接患者の口中より「かた」をとる行為及び試適即ち義歯又は金冠の製作に際し直接患者の口中にあてて適否を試みる行為並びに嵌入即ち完成せる義歯又は金冠を人体に装着するに当つて修正する行為の如きはいずれも直接患者につき施術をなすを要するものであつて当然歯科医業の範囲に属し所謂歯科技工師のなし得る業務ではない。蓋し右の如き施術は臨床上必要な歯科医学及び口くう衛生に関する知識技能を具有する歯科医師にして始めてこれを信用し得るのみならず歯科衛生士法第二条によれば同法による試験に合格しその免許を得た歯科衛生士においてすら歯牙及び口くうの病患の予防処置について、一、歯牙露出面及び正当な歯ぐきの遊離縁下の附着物及び沈着物を機械的操作によつて除去すること 二、歯牙及び口くうに対して薬物を塗布することの各行為をなすについても歯科医師の直接の指導下にその業をなすを要する旨を規定するに反し所謂歯科技工師なるものについてはその資格の取得及びその行政的取締に関し何等の法規が存しない点より見るも右印象採得、試適、嵌入の各施術はいずれも歯科医師のみこれを行い得るものと解すべきであつて若し所論の如く右の施術を歯科医業の範囲でなくその以外の所謂歯科技工師の業務範囲に属することを認容すればかかる国民衛生に重大なる関係を有する施術行為を無制限に放任するの結果を生ずるのを保し難いからである。此の故に厚生省医務局においては従来より印象採得、試適、嵌入いずれも歯科医業の範囲に属するものと解釈し司法省刑事局においても右医務局の問合せに対し前同様の回答を与え(本件押収に係る釧路地方裁判所北見支部昭和二十六年(領)第五号検第一号歯牙医業の範囲について参照)又日本歯科技工師会においてもその所属会員に対し右の諸施術行為を禁止(本件記録九丁以下花桐岩吉の釧路地方裁判所北見支部宛書状参照)しているものの如くである。従つて原審が原判示事実を認定し被告人の所為に対し歯科医師法第十七条第二十九条第一項を適用処断したのは正当であつて原判決には法令の解釈を誤つた違法はない。結局論旨は独自の見解に基くものであり採用に値しない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却すべきものとし主文の通り判決する。

(裁判長判事 黒田俊一 判事 百村五郎左衛門 判事 東徹)

被告人中村義夫の控訴趣意

原審が被告人が新伝みや、柳橋七郎、佐久間甚、伊藤多一の依頼を受け上総義歯或は上下総義歯を作り之を同人等の歯牙脱落部に嵌入したとの認定の下に歯科医師法違反として処罰したのは法律の解釈適用を誤つたもので破棄を免れざるものと信ずる。被告人が前記新伝みや外三名より製作を依頼された義歯は孰れも総義歯で通常総入歯と称されて居る護謨床義歯である。護謨床義歯は注文者に於て取外しは自由に為し得るもので施用者が日常之を取外しこの義歯を清掃して居ることは常に瞥見するところである。被告人が前記新伝みや外三名の依頼を受け型を採り総義歯を製作した上之を販売するに当つてはこれらの者の口腔に数回施用せしめ其の都度之が総義歯がその者等の口腔に適合するや否やを検し総義歯を修正した事実は原審に於ける右新伝みや、佐久間甚、伊藤多一の各証言及柳橋七郎の司法巡査に対する供述調書記載により明らかである。原審では斯る行為は歯科医師のみが為し得る義歯嵌入施術に属し被告人の如き歯科技工師の為し得る義歯製作の領域を逸脱せるものであると做したものであるが歯科技工師が其の業務として原判決が認めた義歯の製作販売は其の業務の性質上義歯製作の前提である歯型をとる事を要し次で之が製作にとりかかるものでありこの製作した義歯を販売するには依頼者の口腔に適合するものでなければならない。適合しない義歯は商品としての価値はなく従つて依頼者は之を購入する筈はない。依頼者の口腔に適合せしめる義歯を製作するにはどうしてもその製作した義歯を依頼者の口腔に一応当て嵌めて見て適合するや否やを検する事が必要であることは論を俟たないところである。しからざれば歯科技工業は営業として成り立たず依頼者も亦適合した義歯でなければ依頼した目的は達せられないのである。

従つて歯科技工師が依頼を受け歯型を採り本件の如く総義歯を製作し之を依頼者の口腔に適合するが如くに修正をほどこして適合した義歯を販売することは当然の業務範囲と謂わなければならない。この適合して居るかどうかを検するために本件の如く数回嵌めたり抜いたりしてその咬合の具合を検して義歯を修正するが如き行為は当然歯科技工師の為し得る業務範囲に係らず原審判決が斯の如き行為は歯科医師のみが為し得る行為であるとなしたのは歯科医師法第十七条に所謂歯科医業行為の解釈を誤つた違法があると謂わなければならない。原審判決はその施術の巧拙如何は被術者の健康に影響を及ぼすが故に前記の如き被告人の行為は歯科医師に非ざれば為し得ざるものなりとせられたのであるが斯る懸念があるがために歯科技工師はその製作義歯を適合するが如く修正する要がありそのために本件の如く製作義歯を数回嵌めたり抜いたりしてためして居るのでありこれは適合するが如く修正する所謂試適行為に過ぎないのである。この過程を経て完成した総義歯を被告人は前記新伝みや外三名に売却したもので被告人の斯る行為は試適行為として当然その業務範囲に属する正当なる行為であると謂わなければならないと信ずる。然し本件は護謨床義歯であり斯る義歯は総て注文者自身が自由嵌入し得るものでそれ以前の被告人の嵌入行為は試適と看做さなければならないことは前記製作過程よりみて明らかである。

斯る被告人の護謨床義歯の製作販売を原審が看過して注文者の歯牙脱落部に対する金冠義歯の嵌装行為と同一視して被告人の前記所為を歯科医師法違反に問擬したのは事実を誤認したものと謂うべく法律の解釈を誤つたものとして原判決を破棄し差戻して頂きたいのである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例